2010/03/22

季節の変わり目

「かつて泥棒を生業とするものは、真っ暗な森の中を棒きれ一本持って全力で逃走することができた」

泥棒であれ何であれ、一つの信念を持って走るものは目の前に障害が立ちはだかってもどう対処すべきかが瞬時に分かるのだということをこの文章は言っている。

そして僕は高校の文化祭で、どこからかこの文章を引用してきて文化祭実行委員長のあいさつとして冊子に書いたらしい。

と、いうことを先日、高校時代の友人に言われるまですっかり忘れていた。
高校生のくせにたいそうなことを書いたもんだ。詳しい内容は忘れたが、その後、僕はこの文化祭をきっかけに演劇の道を志すこととなる。

ところが大学に入ってからダンスと出会い、いきなりその決意は揺らぐのだった。

こんなたいそうなことを書いたもんだから、高校時代の友人は皆、僕が演劇を志しているものだとばかり思っていて、ダンスをやり始めたと聞いて「演劇じゃないの?」と首をかしげた。僕自身もこの文章を書いた時は、ダンスをやるなんて夢にも思わなかった。

そして今、自分に問うてみる。「今自分は何を持って走っているか?」と。
「一つの信念を持って迷わず全力疾走しているか?」と。

ダンスと演劇を並行して学び、卒業後もいわば二足のわらじで走ってきた。それが果たしてどういうことか?どちらも中途半端で、いずれそのわらじに足をすくわれるのではないか?ここ一年ほどの間、そのことをよく考えるようになった。
というのもつい最近まで僕はこの二足のわらじを新しい可能性を切り開くものとして、結構気に入っていたのだ。

だか世の中そんなに甘くない。二足のわらじではおそらく全力疾走はできない。

なぜこんな話を書くかといえば、今年で僕の卒業した京都造形芸術大学、映像・舞台芸術学科が無くなり、映像と舞台が別々に独立した学科となるからだ。
別にそれが良いとか悪いとか、どうこう言う気は全くない。

僕自身、両方を学んだことに後悔はないし、今後それが大きな武器になると今も信じている。しかし自分のやりたいこと、信念は一つにまとめるべきだと最近心底思う。かたちはどうであれ。それがみすぼらしい一本の棒きれだとしても、それを基準に判断ができるのだから。

そして明日、映像・舞台学科最後の卒業生の卒業式がある。
なんだか感慨深い。

大学を卒業して三年。そして来週からは新たな挑戦である、チョン・ヨン・ドゥ氏との稽古が本格的に始まろうとしている。

様々なことが終わり、また新たなことが始まろうとするこの季節。
なんだかしんみりしてしまうと同時に、俄かに闘志が湧いてくる。

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