2011/03/13

東北・関東の地震について

これほどまでに「日常」というものを意識させられたことが今まであっただろうか?

京都は普段と全く変わらない「日常」が続いている。むしろ日常に「」を付けて、動揺を鎮めるように、祈るように、努めて日常を「日常」として過ごしつつ、皆、自分に何が出来るだろうか?ということを模索している。

ショックの度合いは当事者とは比べものにならないほど少ないし、ストレスもその少なさに罪悪感を感じるほど「ない」。ただ淡々と、ご飯を食べ、働き、眠りにつく。

実際僕は地震が起きた時、稽古の真っ最中で、揺れたことにすら気がつかなかった。稽古が終わり、ツイッター上で今回のことを知った。

その後、数々の報道と、実家の家族との会話を経てもなお、実感のようなものは「ない」まま現在にいたっている。

ただその実感の「なさ」みたいなものに、出来ることは沢山「ある」のだと思う。

関西に節電の呼びかけがあるという情報も、何となくヘルツの違いがあるのに、意味あるんかな?と思い、やたらにまわってくる友人からの節電メールを転送せずにいたら、やっぱりその情報は信憑性のないものだった。

飛び交う情報と多くの善意がごった返す中、非情なまでの実感の「なさ」が冷静な判断を生む。
「ない」ことを「ある」ように見せかけてもしょうがない。「ない」以上は受け入れるしかないし、「ない」から始めるしかない。

そのことが、いま、自分のすべきこと、出来ることを見極めつつ「日常」を送る原動力となっている。

そして、自分はモノを作ることで生きているから、ただただ作り続ける。

10日後に控えた本番に向けて、稽古は順調に進んでいる。少なからず、今回の地震のことは作るものに影響を及ぼすと思うが、本当に淡々と作品を作っている。

だから僕は、今回の本番が東北・関東の人々にとって役に立つなんてことはないと思うけれど、作家としてモノを作り続けるという「日常」を送り続けようと思う。貯めてたTポイントは全額寄付してみたけども。

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