2011/04/13

怒涛の一週間が終わりました。

怒涛の一週間が過ぎ、明日ようやっと通し稽古です。
いや、本当、未だかつてない経験をさせてもらっています。

イギリスロイヤルバレエのバレリーナに徹底的にリフトを教わり、英語、日本語、フランス語の入り交じった中でリハーサルをし、それをyoutubeにアップしてNYの作曲家に曲を作ってもらったり、花見したり、クレープパーティしたりの、
もりもり沢山の一週間でした。
明日から一旦京都に戻ります。来週の本番、ぜひ多くの方に見て頂きたいです!

この一週間の、もはや国際交流プロジェクトと言っていい稽古期間の中で、楽しいことも、つらいことも沢山ありました。中でも強く感じたことは、やはり人間同士のつながりについて。まだこれから一週間が勝負ですが、その戦いを乗り切る指標として、ひとまず今の考えをまとめてみようと思います。

ダンスで外国人と体を合わせるとき、そこには体の違いはもちろん、文化の違いがどうしようもなくあって、さらに個人の考え方や行動の違い、振付とのバランスなどが加わり、単なる外国人と日本人という構造には置き換えられない、複雑なひずみが発生します。

ダンスの場合言語を解さない分、国境を越えてわかりあえるという考えは、ある部分では当たっていますが、結局、このひずみに向かい合わなければいい作品にはならない事は、確か。
ある程度で済ませてしまうか、それでも手を伸ばし続ける意志を持続させるか。その意思をいかに持続させるかが、キモ。
もうこうなると外人だろうがなんだろうが関係なく、人間同士の根性比べになってきます。

毎日、壁にぶち当たるなかで、少しづつ気づくことは、わかりあえないという絶望をまず受け入れる事が、希望を紡ぐ鍵になる。ということ。
二つの異なる手は一つになる事は出来ないが、互いに掴んで離さないでいることは出来る。その筋力を鍛える事も、離れにくい掴み方を探る事も「離したくない」と強く思えば思うほど、自然と身についてくる。ということ。

こうして僕はこの一週間で体脂肪率は減り、体重が増えたので、実際筋肉がついたわけだが、それはさておき・・・

現実に萎える事は誰にでも出来る。それよりは、もう少しいい夢をみたい。その夢を見るために、どうしようもない現実に目を向け、考える事を止めてはいけない。それは誰の為にって、作品よりも何よりも、きっと自分の人生のためになんだろうと思う。


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