2011/06/06

「見える」「見えない」の話

夕日が山の向こうに消えていき、月が光々と輝きだすまでの少しの間、春と夏の間、山と川の間から吹く風が心地よい季節になりました。
写真は北白川の、僕の好きな本屋、ガケ書房の向かいを写したものです。夕方から夜になる直前の空の青と、月の白。ラーメン屋の黄色と信号の赤。ひそかに好きな風景です。もうすぐ始まる夏にドキドキすると同時に、過ぎ去っていく春に少し淋しさを感じます。
そして、こんないい季節に、また新しい作品に取り組めることの楽しさったらないのです!

いよいよ来週に迫った京都Urbanguildでのイベントに向けて現在、稽古中です!

今日は一緒に踊るダンサーさんと、衣裳を探しに出かけました。相手の衣裳はいいのが見つかったのですが、問題は僕です。。。毎回衣裳には苦労します。。。

ともあれ稽古は順調。ダンサーさんに助けられながら、へなちょこ振付家は奮闘しております!
ぜひ来週14日(火)は京都Urbanguildへ遊びに来て下さい~


そして、突然ですが、稽古をしていてふと思ったことをひとつ。

我々ダンサーと呼ばれる職種に就くものはどこかで「身体一つで、見えざるものを体現したい」という欲望を持っていて、それが「見てはいけないモノ」であればあるほど、よりその欲求は強まるのではないではないか?ということ。

動くことで、あるいは動かないことで観客の知覚に働きかけ、イメージを紡いでゆく。生みだしていく。

特にコンテンポラリーダンスと言われるものは、何か具体的なモチーフを、ジェスチャーのように伝えるのではなく、その抽象性をもって観客との間に「見えざるもの」を立ち上げていく行為なのではないかと思います。

果たして「見えざるもの」とは何か?

それは普段、見落としている感覚であったり、努めて見ないようにしている事柄だったり、そもそも定義できない、理解しえないモノだったりして、ある人にとってはそれを見ることが苦痛だったり、恐怖だったりするもの。またある人にとっては夢だったり、希望だったりする事柄。

そうなると踊るということは、この「見えざるも」のを扱う職業である気がします。
そして、その扱い方は「見えない」がゆえに、かなり慎重にならなければなりません。

その一方で、「見えざるもの」を体というメディアを通して体現して見せるのが、ダンスの面白さであり、「見てはいけないもの」を召喚する特権なのかもしれません。

僕の初めてのダンスパフォーマンスは渋谷のスクランブル交差点で、普段着のまま即興で踊るというものでした。はじめは周りの人は異常者がいると思って、見て見ぬふりをしていましたが、次第に人だかりができ、「見る、見られる」の関係が成り立ち、挙句には交番からお巡りさんが来るという事態になりました。
それは「見てはいけない」異なるものが現われた故の結果だったのでしょう。スクランブル交差点で踊ってはいけませんという法律は無いにしろ「よくわからないこと」は起きてはいけなかったのです。

ちょうどそのころ日本は「テロ」という言葉にかなり敏感で、わからないモノは排除する、理解しえないモノは敵みなすという欧米から吹き荒れる空気にかなり影響されていましたから、わけのわからない踊りを踊っている僕は交番に任意同行され、荷物検査をされました。

まあこれは、完全に若気の至りの迷惑行為に他ならなかったわけですが、そんな渋谷は今「見えざるテロの恐怖」ではなく「見えざる放射線の恐怖」にさらされ、自粛の名のもとに、夜も光々と、昼のように明るかったセンター街はとても暗く、今まで表に「見えて」来なかった原発反対ののろしは、ハッキリと立ち上っています。

「見えなかったものが見えてきた時」それは興奮でもあり、恐怖でもあります。
「見えざるもの」は「見えない」がゆえ、怖いものであり、いかがわしきものであり、社会というルールを乱すものなのかもしれません。
だからこそこの、社会の名のもとに「見えてしまっては不都合なもの」は隠され、それらを「見えるもの」としようとするものは、いつの時代も排除されてきました。

ダンスとこれらのことを関係づけて考えるのはいささかオーバーかもしれませんが、確実に言えることは、やはりこの「見えざるもの」には強烈な魅力があり、私たちはいつまでもこの「見えざるもの」を「見たい」という欲求に揺り動かされているということ。

ダンスの欲求はこういったところに根ざしていると、僕は思います。

作品を作るときに、やはりこういったことは無視できません。どんなにお気楽な、おバカな作品も、世に出るからには必ず、程度の差はあれ、ココを通過していきます。

何を「見せて」何を「見せない」か?何が「見えて」何が「見えない」のか?そんなことを考えながら、訥々と、作品を作っています。

そういえば京都の北白川では、ホタルが飛び始めました。薄暗い川辺に、ホタルの光が「見えたり」「見えなかったり」して、夏の到来を告げているようです。

0 件のコメント:

コメントを投稿