2011/09/11

ダンスについて思うこと

さて、9月11日です。あれから10年が経ちました。

この日が来るたびに思い出すのは、当時高校生だった自分の姿です。

当時は学園祭の直前で頭の中はクラスの出し物のことでいっぱい。連日連夜の練習で毎日終電帰宅するような毎日を送っており、「同時多発テロ」と言われても、「なんか大変やな」ぐらいなもんでした。

時が経つにつれて、事の重大性に気づいて行くわけですが、当時は本当に「蚊帳の外」でした。厳密に言えば今も「蚊帳の外」であることに変わりはないのかもしれません。しかしながら今日という日が福島の原発事故から半年ということもあり、いろいろ考えさせられる日です。

実を言えば最近ブログの更新が途絶えていたのも、このことについてぐるぐると考えを巡らせているうちに、正直、踊りたくない、踊れない、何もする気になれないという思いがふつふつと込み上げて来たからなのでした。

震災直後、ダンスに出来ることが必ずあると意気込んでやってきたのですが、夏のチャリティーイベントが終わった瞬間に、ぽっかりと時間が空いたせいもあって、一気に落ち込んでしまいました。

思えば震災直後、落ち込むまいとして、気を張っていたツケが、今になってどっと押し寄せたのかもしれません。「アーティストとして」とか「大人として」とか張り詰めていたものが一気に崩れてしまったのかもしれません。

果たしてこれからダンサーとしてどうしていくべきなのか?という問題から、ただただ忙しくすることで、逃れようとしてきた分、ふと、時間が空いた時にその問題の深さに愕然となった。それが今回の落ち込みの原因なのかもしれません。


しかし、それでもダンスに関わっていたい、止めてはいけないという気持ちは今も途絶えてはいません。むしろこの体験が、自分をよりダンスに向かわせるかもしれません。

そして現在は振付家さんの助手をさせていただいています。

「いまさらなんで助手なの?」と言われますが、今自分にとって、この工程は必要だと思うのです。
もう一度ダンスとの関係を見つめなおし、自分の方向性を確かめたい。今はそう思います。

幸いにも先々に出演の依頼も頂いているので、今立ち直らなければ誘って頂いた人たちに申し訳ないという思いもあります。

そして、こうして書くことで、発信していくことで、少しずつ、また歩き出そうとしています。また必ず表現者として戻ってくるための一歩。今は踏ん張りどきです。

その第一歩として、考えていたことをまとめてみました。と言いつつも、全くもってまとまっていない気もするのですが、ご一読くだされば幸いです。


「これから先の未来のために、ダンスに関わるものとして一体何が出来るのか?」


この問いに対して、ダンスに関わるものとして、どのような応答が出来るのかを考えたとき、自分がそこから多くを学び、救われてきたダンスというものを、自分自身が続けなければという思いが、以前に増して強くなりました。

たとえ自分に才能がないとわかっていても、続けることに意味があると。

自分がいかにダンスに救われたかや、舞台に立つ喜びについて、話す事はできます。しかし、このダンスというとらえどころのない分野を未来に継承していくのは、やはり人であり、体なのだと思うのです。

だからまず大前提に私たちは生きなければならないし、自分の身は自分で守らなければならない。ダンサーとして、ダンスできる体を保たなければならないのです。

それは、映像や記録、教育や制度も去ることながら、ダンスの喜びや楽しさを伝えていく最も強い伝達媒体はダンサーの体とその生き方なのだと思うからです。

自分も現役で踊るダンサーの体、その生き方から多くを学びました。それはダンスの事に限らず、実人生を生きるヒントでもありました。

人として迷いながら、焦りながら、それでもダンサーとして戦っている彼らの姿は、私を何度も勇気付けてくれました。それは技術や作品以外の、その人のイメージ、生き様みたいなもので、むしろそういった部分から私は多くを学んだ気がします。

さらには、そういった先人達が私を受け入れてくれたことも今でも私がダンスを続けている大きな原因でもあります。

私がダンスを始めたのは成人してからでしたし、技術もなけりゃ経験もありませんでした。
にもかかわらず、先人たちが「お前のその動き、生き方がダンスになるんだ」と、教えてくれました。
それは私にとっては大げさですが「お前は生きていいんだよ」と言われたような体験だったのです。

まあ完全に勘違い野郎であり、おだてられて木に登ったタイプであることは間違いないのですが、そんな体験を生み出せるのは、やはりダンスの力だと思うのです。大げさではありますが自分はダンスに救われました。

そんな自分に、もし僅かでもこれから先、出来ることがあるとしたら、それは自分と同じように生き方に迷い、生きる事に所在なさを抱えて動けなくなっている人に自分の、たった一つの物語を体を持って、伝える事だろうと思うのです。

物語自体は一個人の、ちっぽけな話だけども、その人間は今、この瞬間も一人の人間として迷い、焦りながらも戦っている。
その姿を、誇りを持って生で、目の前で見せられる事。それはものすごく小さな事だと思いますが、そんな小さなことが、一人の人間を生かすかもしれない。そう思うと、自分も生きることに少しだけ希望が持てる気がします。

ハッキリ言って自分は地味です。派手な事には向いてないと思っています。そして自分が出来ることはかなり限られている。ましてや自分が人に教えられる事などほとんどないと思っています。

ただ、人並みに生まれて、生きて、死ぬ甲斐を探し求めるだけの野心はある。

だからこそ僅かでもいい。自分のダンスが、自分の生き方が人の心に止まればと思うのです。

近い将来、私たちの原発や政府への無関心に端を発する罪を、子供たちは糾弾するでしょう。

その時に私たちは何を語るか?それを聞き取る若い耳は、私たちの言葉だけでなく、どんな生き方をしてきた体から、私たちの言葉が発せられているか?その仕草、その響きまでも、鋭く聞き取る事と思います。

そんな鋭い耳、射るような眼差しを、今を生きる誰もが免れることはできません。

そして、この糾弾に対して、私は政治家でもなく、学者でもない、ダンサーとして応えなければならない。

そのことが自分をダンスに向かわせ、ダンスを続けさせ、かつて「蚊帳の外」にいた、ただの高校生に、ダンサーと名乗る勇気と責任を与えてくれるのかも知れません。

そして数年後、今回の震災が自分を以前よりダンサーにしたと言える日が来るのかもしれません。

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