2011/09/18

創作者の言葉

「行為している人の言葉というものと、議論している人のことばというものは違う」

この一週間、東京で三人の振付家、一人の演出家と作業を共にし、さらに一人の振付家の作品を見るという、濃いダンスウィークを過ごす中でふと、この言葉が思い浮かびました。小説家の小川国夫の言葉です。

ほとんどが僕より年上の方々で、彼ら、彼女らと語らう中で感じることは、彼ら彼女らの言葉は、それぞれにクリエイティブで、それぞれに、それぞれの哲学があり、やり方があり、譲れないことが、それぞれにあるということ。

一城の主にまでのし上がった人に関して言えば、これは当たり前のことです。それ相応の苦労や経験をして、その哲学、その言葉を手に入れるに至った。そんな彼らの言葉に説得力が無いはずがありません。

彼らは、生活するためにヨガを教えたり、ミュージシャンのPVの振付をしたり、ワークショップをコツコツしたりしながらも、やっぱり舞台でしかできないことがあると、信じてやまない人々であり、そうして続けていったからこそ、何とか生活していけるようになった。(それだけ苦労しても大金持ちにはなれないという現状は今回はおいといて)だからこそ舞台にかける人々の情熱は半端ではないのです。

そんな情熱を持ったあるカンパニーの主宰の方に、飲みの席で「ソロダンサーは甘い」と言われ、ドキッとしました。

ソロダンスが多い僕は集団での創作や、劇団、あるいはカンパニーを主宰している人から見れば、せせこましく、細々とやっているように思われるようで、かなりショックでした。

しかしよく考えてみれば、デュオの作品を作った時はソロの何倍も大変でした。そう考えるとソロダンスは甘いのかもしれません。責任は全て自分にある分、傷つくのは自分一人で済むから。

しかし僕もまだまだ始めたばかりではありますが、一回一回それなりに責任はとってきたつもりですし、苦労の背比べとか、不毛ですし、ソロとかグループとか、向き不向きがあるだろうから、あんまり気にしないですが、やっぱりこうやって書くってことは、ちょっと気にしてるのかも・・・とか思いつつ。。。

しかもちょうど来年に向けて、グループワークを展開していこうかと考えていたので、なんとなく今回言われた言葉が、ズシッっときて、逆に今後を後押ししてくれるような気もします。

やはりそれなりにやってきた人の言葉は、よくも悪くも重量があるってことですかね・・・


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